この地球を覆う大自然には、「創造」と「破壊」という二つの働き(エネルギー)があります。
- 創造は神
- 破壊は魔
…が担当しています。
では、魔とはどんな役割をしているのでしょうか?
「創造」は神が生み出す
「創造」とは、命と形を生み出す働きです。
鉱物、植物、動物といった地球上のあらゆる生命体が誕生、生育し、繁栄する── このような動きを司っているのが創造です。
こういった創造のエネルギーは神が生み出しています。
「破壊」は魔が生み出す
これに対し、「破壊」は命と形を終焉させる働きです。
死や災害などが破壊に該当します。
破壊のエネルギーは、魔が生み出しています。
地震・雷・津波など、人間から見て「自然災害」と呼ばれる自然現象は大自然の怒りのエネルギーそのものです。
この純粋な怒りのエネルギーこそ「魔のパワー」の根源です。
「神」と「魔」は表裏一体
「創造」と「破壊」は二つで一セットです。
自然界は、創造と破壊のエネルギーが均衡し合うことで、バランスを保っています。
創造を司る神と、破壊を司る魔は表裏一体の存在です。
- そよ風と嵐
- 小川のせせらぎと洪水
- 陽だまりと猛暑
…これらはどちらも同じ自然が生み出すカット面であり、その時々によって「異なる表現」をしているにすぎません。
その力が創造に向かえば“神”と呼ばれ、 破壊に向かえば“魔”と呼ばれるのです。
魔は「大自然の破壊的パワー」そのもの
魔は、地震や雷、洪水といった天災を引き起こす力を持っています。
自然災害の裏には、 必ず「魔の働き」が潜んでいるのです。
魔は、決してその力を自分個人のために使うことはありません。
魔は大自然の天命を守り、地震を起こすべき時に起こし、雷を落とすべき時に落としているだけです。
その破壊力は、決して何かの欲望のためには使われないし、使われてはならないのです。
魔は「正義の味方」なのか?
魔は、天の使命を果たす以外の目的を持ちません。
エゴにまみれた人間社会に天罰を下すことは、 エゴの無い魔にして初めて可能です。
ある意味、破壊者「魔」とは正義の味方と言えるのかもしれなのです。
私達は、もう一度「魔」について良く考えてみる必要があるのかもしれません。